「皆さんご存知の通り知っての通り」の【物の気持ちシリーズ】

テレビの司会者は良く「皆さんご存知の通り知っての通り」と言う
私はその言葉に生まれて 司会者を恨んだ
その言葉には悪意はなかった むしろ視聴者に対して腰を低い姿勢を見せてるのかな?
でもそれが逆に視聴者を馬鹿にする形になっている事に気付いて欲しい
「当然こんな事知ってる」と知らない人扱いしないように視聴者を立ててるつもり?
多分そうじゃないかと思うけど だけどそれはあくまで本当に視聴者が司会者の言った事を知ってた場合で
司会者が知ってる事でも視聴者は知らなかったら作戦は逆効果
たちまち「皆さんご存知の通り知っての通り」私はただ視聴者を傷付け見下す言葉に成り下がってしまう
良い意味で 気遣ってるはずの言葉は最低な罵倒に変わってしまう
つまり「皆さんご存知の通り知っての通り」の言葉
私は最初プラスの意味で扱われてるのに 受け取られる時にはマイナスになっていて虚しいんだよ
意図的に使われてるとしたら 誰かその過ちに早く気付いてよ あなたを立ててるつもりで私は
結果的にあなたを罵倒してる事になってる それは頭の良い司会者のせい
頭の良い人ほど気付かない落とし穴がある
頭の良い人は自分が知ってる事だから誰も疑問を唱えないけど
無知な人ほど気が付く可笑しな点もあるって事だよ
馬鹿な連中も頭の良い人達に勝てる部分もあったって事さ まんざら捨てたものじゃないだろ?
そして今日も司会者が紹介した人を頭の良い人達は誰も異議を唱えない
誰もが知ってる感覚で話し それが成立しているから 頭の良い人ほどわからないんだろう
「皆さんご存知の通り知っての通り」って別に使わなくても話しは進められるのに
何故わざわざ余計な私を無駄に使うんだ?
私は「皆さんご存知の通り知っての通り」の言葉に生まれて存在意味がわからない
無駄に 必要以上に「皆さんご存知の通り知っての通り」って無知な人を傷付ける言葉だと気付かないかい?
その放送の仕方にどんな策略があって何のために「皆さんご存知の通り知っての通り」って使う?
私は数々の番禺に出演する いたるところで 思わぬ場面で突然「皆さんご存知の通り知っての通り」
いつ何処で出て来るかわからない人型のない形のない言葉と言う存在です
いろんなドキュメンタルで ゲストの紹介の時に私は登場する
「皆さんご存知の通り」もしくは「知っての通り」何のために言うの?文字数の調整?普通の会話で
なんで 何のために私は使われるの?「皆さんご存知の通り知っての通り」ってどんな意味があるの?
それとも司会者が知ってる事はすべて知らなきゃ行けないのか?
司会者が知ってる事を知らない視聴者は愚かなのか?
司会者に付いて来れない視聴者は罵られて当然と言う考えなのかい?
誰でも司会者が知ってる事を知ってると限らない みんな一人ひとり別々の人間だから
そのくらい誰でもわかってるでしょ?ならどうして「皆さんご存知の通り知っての通り」って私は生まれた?
「皆さんご存知の通り知っての通り」って「皆さんご存知の通り知っての通り」って
司会者の紹介の仕方に傷付く人がいる
私は「皆さんご存知の通り知っての通り」に生まれた「皆さんご存知の通り知っての通り」として悩んでる
ごめんなさい ごめんなさい みんながみんな司会者が知ってる事を全員知ってる訳ないよね
そもそも本当に司会者の知ってる事を全員が知ってたら今テレビ画面に映ってる司会者の価値は無くなる
なんのために「皆さんご存知の通り知っての通り」って言うんだろう?
司会者は自分の過ちに気付かないのかな?

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